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父の愛したシルバーカー
足の悪かった父
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父が他界してから、もう三年が過ぎようとしています。父の遺品は大方の整理が付いていましたが、 唯一処分出来ずに手元に残してあったのが、愛用していたシルバーカーでした。
三年の月日が私の気持ちにも区切りを付けてくれたのか、先日やっと「お父さんを長い間ありがとね」と言葉を掛けて、 大型ごみ(ごみとは言いたく有りませんが…)の収集日に出すことが出来ました。
晩年、父と母は共に老人ホームに入居していました。七十五歳で入居して九十八歳で亡くなる迄、 実に二十四年間にも渡るホーム暮らしでした。その間、何度か体調を崩し入院をしましたが、 その度に足が弱くなり、入院中は車椅子のお世話にもなっていたのです。
以前は掛け声と共にソファにドスンと腰を下ろし、立ち上がる際にも大きな声で「ヨイショ」と声を出す等、 何をするにしても自分を鼓舞させなければ動けない父の生活では有りましたが、それでもそれなりの充実した日々を過ごしていたのです。
それが病の為とはいえ、すっかり足に衰えがきて遂には車椅子を使わざるを得ない父の姿は、心なしか小さくなったような気がしました。
アドバイスでシルバーカーを購入することに
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しかし、周囲の心配は杞憂に終わったのです。車椅子を使いながらも毎日のリハビリに励み、 ほんの少しでは有りますが、歩く事が出来るようになって来たのです。
リハビリ室の器具に捕まりながらでしたが、嬉しそうに私を振り返り「どうだ?」と言った日の事が、 懐かしく思い出されます。入居していたホームは健康な老人である事が入居の条件でしたから、当然車椅子のままで其処に居住し続ける事は出来ません。
そこで退院も近づいたある日医者に相談したところ、以前のように歩くのは無理でも、 この調子ならば必ず良くなるので気長にリハビリを続けましょうと言われました。そして松葉杖を貸すので、これを使ってみてはとの事でした。
この年令の老人に松葉杖…と内心思いましたが、違う策は無いのかと質問をする訳でなく 「はい、ありがとうございました」と言っている情けない自分がいました。そこで、どうしたものかと頭を悩ませている時に、 同じホームに入居している方達のアドバイスもあって、シルバーカーを購入する事になりました。
おしゃれなチェック柄の幸和製作所のシルバーカー
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今考えれば簡単に思い付きそうなものですが、当時はホームの入居者の中にも、それを押して歩いている方は少なく、 ましてあの頃の私にとっては恥ずかしい事に、老人の為の介護用品は未知の世界だったのです。 母の「高くても良いから一番いいのを買ってきて」の命を受け、夫と共に隣町のホームセンターに出掛けました。
沢山の種類が有る中、いかにも頑丈そうな幸和製作所のシルバーカーを選びました。 いくらで手に入れたかは忘れてしまいましたが、母の言いつけ通りに、他よりは値の張る物だったように記憶しています。 父は大変お洒落な人でした。豊かでも無い暮らしでしたのに、酒も煙草もやらない代わりにカメラならライカ、 万年筆ならモンブランと言うように一流品が好きでした。
それを母がどう思っていたかは聞いた事は有りませんでしたが、「一番良いものを買って」 と言う母も又父同様の感覚の人間だったのかも知れません。 シルバーカーのベージュチェックの柄模様はブランドのバーバリーを思わせ「これ絶対気にいるね」と夫と二人笑ったものです。
三ヶ月にも及ぶ入院を経て、父がいよいよホームに戻って来る日、母と私はあのバーバリー仕様のシルバーカーを用意して父を待ちました。
シルバーカーを見た父の嬉しそうな顔
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この事は父には内緒にしていました。夫に支えられタクシーから降りた父は我が家を愛でるかの如く辺りを見渡していました。
迎えて下さった職員の方に挨拶を済ませ、貸し出された例の松葉杖を使おうとしたその時、 シルバーカーを押した母が登場です。「はい」と母がシルバーカーを差し出すと父の顔がパッと明るくなりました。 父にしても言葉にはしませんでしたが、松葉杖を使ったこれからの生活は不安で一杯だったのでしょう。
体重を両手で握ったバーが支えてくれるので、おぼつかなかった歩行も驚く程スムーズにいき、 すぐにこのシルバーカーは父の大のお気に入りになりました。あちこちにローマ字で名前を書き、 果ては補強の為か脚に垂木を渡し、二度と畳めないようにしてしまいました。狭いスペースにそれはもう大変でした。
亡くなるひと月前迄はこのシルバーカーを使って元気にしていた父でした。何度も何度もあの日の話をしました。 「松葉杖を使うのかとガッカリしていた時に、母さんがこの車を澄まして押して来たんだよなァ」と飽きもせず同じ話をするのです。 どれだけ嬉しかったのでしょうか。父の毎日を支えてくれたシルバーカーでした。畳めなくしたので扱いが少し大変でしたが 「よっ!」と掛け声を掛けて愛車を持ち上げ廊下に出る父の姿を思い出すと、胸が熱くなるのを覚えます。