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歩行車を使用して
定年退職とヘルニアの手術
- 63才、男性です。長年に渡って勤めていた職場を無事に定年退職しました。 在職中から、私は頸椎のヘルニアに悩まされていました。 ヘルニアと診断されたのは、10年以上も前のことです。 医師からは手術を進められていましたが、そうなると、ある程度の長期に渡り、 仕事に穴をあけてしまうことになります。 他には体に悪いところもなく、ごまかしごまかし仕事を続けてきました。 どうにも痛みに耐えられなくなって、休みをもらうことも有りましたが、 週1回程度の通院を続けながら、在職中は長期休養を取ることもなく済ませられたことをありがたく感じました。 定年退職を迎えて、始めに思ったことは、 「さて、ヘルニアをきちんと治さなければ」ということでした。 担当の医師に、私の意向を伝えて、手術、入院と言うことになりました。 私と同様に、女房も安心してくれたようでした。 手術をすると、約2週間はベッドに寝た状態で、安静にしていなければ場りません。 「手術」は、学生時代の盲腸炎の手術以外は経験のない私です。 2週間の安静状態は、この年齢になっても、とても不安でした。
手術後の安静状態、精神的な辛さ
- 手術は無事に終了し、目を覚ますと天井の模様が、 ボーっとしながら見えたのを覚えています。 ベッドの横には、息子が座っていました。「具合はどうか」とか、 話したような気がしますが、よく覚えていません。 その日から、「不自由な時間が始まるな」と感じていた事の方が、よく覚えています。 意識がはっきりしている状態で、自由に動くことが出来ないということは、 とても精神的には大変です。特に感じることは、 誰しも感じると思いますがトイレの問題です。 意識がはっきりとしているから、始末が悪い。 自分自身が弱ってしまているのであれば、そのような状態に甘んじることも できるとは思いますが、私は、なかなかそういう気持ちにはなれませんでした。 体を動かさないので、腹は減らないかと言うと、そうではありません。 長きにわたる習慣ですから、時間になれば、いろいろと食べたいものは頭に浮かぶものです。 息子が、好物の餃子を差し入れてくれた時には、食べている最中は 「ビールは無いのかい?」などと冗談を言いながらおいしく食べました。 しかし、後がいけませんでした。ひどい胸やけと便秘になってしまい、痛い目にあいました。
2週間の安静状態の後、歩行器でのリハビリ
- やっとの思いで、安静状態が終了し、起き上がることを許されました。 普通の視線で物を見ること自体が久しぶりのような感じで、とてもおかしな気分でした。 「これでトイレにも自分で行くことが出来る」と安心しました。 ベッドの横には、車椅子が用意されていました。 しばらくは、車椅子での移動、歩行器でのリハビリと言われていましたが、 自分では甘く考えていたことを知らされました。 ベッドで起き上がって、自分の足を見ると、ヒョロヒョロの細い足に驚きました。 人間とは、60年間も普通に歩いていたとしても、 しばらくの間、寝た状態のままでいるだけで、 もう歩くことがままならないのだと知りました。自分の靴さえブカブカの状態でした。
歩行車でリハビリ
- 私は、その日から、キャスターのついた歩行車で病室や 病院の廊下でゆっくりとリハビリを開始しました。 起き上がることを許された喜びよりも、歩けない悲しさ、 くやしさのほうが大きかったことを覚えています。 足の筋力の回復につれて、歩行もできるようになってきましたが、 ベッドに起き上がって見た足には危機感を覚えるほどの驚きがありました。 短い間ではありますが、歩行器を使ってのリハビリは、時間とは関係なく、 とても貴重な時間な時間を過ごしました。 「自分で歩く」と言うことの大切さを認識することが出来ました。